お笑いコンビ「パックンマックン」のパックンとして知られる、パトリック・ハーランさん。
ハーバード大学卒業という華々しい経歴を持ち、現在はお笑いだけでなく、コメンテーターや大学講師など幅広い分野で活躍しています。
そんなパックンですが、実は子供時代、生活保護を受けるほど貧しい暮らしを経験していたことをご存じでしょうか。
10歳から新聞配達を始め、毎朝3時半に起きて働きながら学校へ通っていたというから驚きです。
それなのに、高校を首席で卒業し、世界的な名門・ハーバード大学へ進学!
「そんな大変な生活の中で、どうやって勉強していたの?」
「お金がなくてもハーバード大学に進学できたのはなぜ?」
と、気になりますよね。
詳しく調べてみると、パックン自身の努力はもちろん、お母さんの教育方針や、周囲の人たちの温かい支えがあったことが分かりました。
今回は、パックンの幼少期からハーバード大学進学までの道のりを、本人が語ったエピソードとともに紹介します。
パックンの生い立ち!生活保護を受けていた子供時代
7歳で両親が別居!母子家庭で育った幼少期
パックンは1970年、アメリカのモンタナ州で生まれました。
その後、空軍に勤めていた父親の転勤により、コロラド州コロラドスプリングスで育ちます。
幼いころは両親と姉の4人家族で、経済的にも安定した生活を送っていたそうです。
しかし、7歳のときに両親が別居し、8歳で離婚。
母親と姉との3人暮らしが始まりました。
さらに、お母さんは失業と再就職を繰り返すようになり、家計は次第に苦しくなっていきます。
パックンが11歳のころには、姉が父親と暮らすことになり、それまで支払われていた養育費なども止まってしまったそうです。
そして、ついには日本でいう生活保護にあたる公的な支援を受けていた時期もあったといいます。
現在の明るいパックンからは、なかなか想像できない生い立ちですよね。
食費は1食約89セント!貧しかった当時の暮らし
当時のパックン親子は、毎日の食費を少しでも抑えようと工夫していました。
牛乳は高くて買えないため、代わりに脱脂粉乳を使用。
お肉も牛肉ではなく、比較的安い七面鳥のひき肉を食べていたそうです。
たまに食卓に並ぶ鶏肉が、ごちそうだったというから驚きます。
さらに、学校では空腹のあまり体調を崩したことも。
そんなとき、保健室の先生が牛乳とクッキーをくれたそうです。
パックンは、それを食べると頭痛が消えたことを、今でも覚えていると語っています。
何十年たっても忘れられないほど、うれしかったんでしょうね。
そして、当時の生活を語るうえで欠かせないのが、お母さんの存在です。
パックンは、夜中に家計のやりくりをしながら泣いているお母さんの姿を見たこともあったそう。
しかし、自分がつらい思いをしていても、その気持ちをお母さんにぶつけることはありませんでした。
自分以上に、お母さんが大変な思いをしていると分かっていたからです。
まだ幼い子供だったパックンが、そこまでお母さんを思いやっていたなんて……。
胸が締めつけられるエピソードですね。
10歳から新聞配達!勉強と仕事を両立した驚きの生活

毎朝3時半起き!最大約440軒に新聞を配達
家計が苦しいことを理解していたパックンは、10歳の誕生日の翌日から新聞配達を始めました。
きっかけは、お母さんの負担を少しでも減らしたいという思いだったそうです。
自分の洋服代や習い事、友達と遊ぶお金などは、できるだけ自分で稼ごうと考えたんですね。
新聞配達は18歳で大学に進学するまで、約8年間続けました。
しかも、高校生のころには、なんと約440軒もの家庭に新聞を届けていたというから驚き!
当時の生活は、こんなスケジュールだったそうです。
- 午前3時30分に起床
- 午前4時前に新聞を取りに行く
- 午前6時30分までに新聞配達を終える
- 学校へ行き、授業を受ける
- 放課後はスポーツや演劇、合唱団などの活動
- 午後9時ごろに就寝
えっ、これを毎日?!
しかも、アメリカの新聞配達は、ただ新聞を届けるだけではありません。
広告を挟んだり、新聞を輪ゴムでまとめたり、集金したりする仕事もあったそうです。
10歳でそこまで働いていたなんて、すごいですよね。
ただ、新聞配達を続けるのは決して楽ではありませんでした。
友達と旅行に行きたくても、配達があるため参加できなかったり、途中で帰らなければならなかったり。
お泊まり会では、友達が寝ている間にこっそり抜け出し、新聞配達を終えてから戻っていたこともあったそうです。
お泊まり会の途中で新聞配達って!
楽しそうなエピソードにも聞こえますが、友達と同じように過ごせないことを、悔しく感じる日もあったといいます。
それでも続けられたのは、自転車に乗ったり、新聞を投げたりすることに楽しさを感じていたから。
そして何より、新聞を待っている人たちへの責任感があったそうです。
学校のロッカーに枕?!宿題も授業中に終わらせていた
新聞配達をしながら、どうやって勉強する時間を確保していたのでしょうか。
実はパックン、時間の使い方がとても上手だったんです!
朝の新聞配達を終えて登校すると、シリアルを食べ、学校のロッカーに置いていた枕を使って仮眠していたそう。
学校に枕を常備していたの?!😂
さらに驚いたのが、宿題の進め方。
パックンは宿題を家に持ち帰りたくなかったため、授業で出された宿題を、次の授業中に終わらせていたといいます。
次の授業もあるのに、どうやって両立していたんでしょうね(笑)。
本人は、時間を無駄にすることが嫌いで、今でも空き時間を有効に使おうと考えるそうです。
そんな時間の活用方法を、「暇つぶし」ではなく「暇いかし」と表現しています。
新聞配達で忙しかったからこそ、限られた時間を大切にする習慣が身についたのかもしれませんね。
ハーバード大学進学を支えた母親の教育方針
「勉強しなさい」と言わなかった母親
パックンが優秀な成績を収められた背景には、お母さんの教育方針もあったようです。
実はパックンの家族には、教育に携わる人が多かったそう。
母方の祖父は校長先生、お母さんは音楽の先生をしていた経験があり、お父さんも空軍士官学校で教えていました。
とはいえ、お母さんは頭ごなしに勉強を強制することはなかったといいます。
パックンはインタビューで、「勉強しなさい」と言われたことは一度もなかったと語っています。
ただし、決して放任主義だったわけではありません。
成績にB評価があると、その理由を尋ねられることもあったそうです。
そして、特に印象的だったのが、文章を添削するときの接し方。
校閲の仕事もしていたお母さんは、パックンが書いた文章を読むと、まず良いところを褒めてくれたそう。
そのうえで、改善したほうがいい部分には、しっかり赤ペンを入れていたんだとか。
褒めるけど、直すところは容赦なく直す!😂
でも、最初から否定されないことで、パックンも「もっと頑張ろう」という気持ちになったそうです。
お母さんは、息子のやる気を引き出すのがとても上手だったんですね。
パックン自身も、この教育方針は、のちの自分の子育てに大きな影響を与えたと語っています。
成績がよかったご褒美はピザ!母親を喜ばせたかった

中学生のころ、パックンとお母さんの間には、ある約束がありました。
それは、成績がすべてA評価だったら、好きなものを食べに連れて行ってもらえるというもの。
普段は外食する余裕がなかったため、パックンにとって特別なご褒美だったそうです。
ところが、パックンは勉強が得意で、何度もオールAを取っていたんだとか!
そこで、あるときからご褒美にピザを選ぶようになりました。
その理由が、なんとも優しいんです。
高いレストランではお母さんに負担をかけてしまうため、比較的安く、お腹いっぱい食べられるピザを選んだそう。
そして、当時食べたピザについて、今でも人生で一番おいしかったと振り返っています。
高級料理ではなく、お母さんと食べたピザが一番。
なんだか、このエピソードだけで泣けてきますね。
母親も学び直して教師に!親子で努力した日々
お母さん自身も、生活を立て直すために努力を続けていました。
仕事が安定しない時期を経験しながらも、学び直して教育分野の修士号を取得。
その後、小学校の教師として働くようになり、家計も次第に安定していったそうです。
パックンが毎朝新聞配達をしながら勉強していた一方で、お母さんも働きながら学んでいたんですね。
「勉強しなさい」と言わなくても、お母さん自身が学ぶ姿を見せていた。
そんな家庭環境も、パックンの学習意欲につながっていたのかもしれません。
問題児だった過去も!パックンを支えた先生や友人たち
問題児クラスから優秀児クラスへ!
ハーバード大学を卒業したパックンですが、子供のころから落ち着いた優等生だったわけではないようです。
実は、小学校では問題児クラスに移された経験もあったんだとか!
子供のころはとても活発で、劇に出演すると、脇役なのに主役より目立とうとすることもあったそうです。
脇役なのに主役より目立ちたいって!😂
このころから、人前に出ることが好きだったんですね。
その一方で、勉強は得意だったパックン。
小学生のころには、学習能力の高い子供たちを集めた「タレンテッド&ギフテッドクラス」でも学んでいたといいます。
問題児クラスに入った経験もあれば、優秀な子供たちと学んだ経験もあるなんて、意外な少年時代ですよね。
先生の言葉で気づいた自分の影響力
高校時代には、先生からの言葉が忘れられない経験になったこともありました。
パックンは友達をからかっていたとき、先生から注意を受けたそうです。
本人は冗談で周囲を笑わせているつもりでしたが、相手を傷つけていることに気づいていなかったのだとか。
先生は、パックンが周囲に与える影響の大きさを伝え、相手の気持ちを考えるよう諭したそうです。
パックンは、その言葉に大きなショックを受けたと振り返っています。
また、英文学の先生からは、自分の能力に見合った高い水準を求められ、簡単にはA評価をもらえなかったことも。
才能を認めるだけでなく、さらに成長できるよう導いてくれる先生たちがいたんですね。
友達の家には、いつもパックンの夕食が用意されていた
パックンの子供時代を語るうえで、忘れてはいけないのが友達の家族の存在です。
なかでも印象的なのが、友達のジェイソンの家族。
ジェイソンの家は3人家族だったにもかかわらず、夕食をいつも4人分用意してくれていたそうです。
もちろん、もう1人分はパックンのため。
特別扱いするのではなく、自然に食卓へ迎え入れてくれていたんですね。
さらに、別の友達の家族は、パックンがいつでも家に入れるように玄関の暗証番号を教えてくれたそう。
お腹が空いたら、自由に食べていいと言ってくれていたといいます。
ほかにも、旅行やキャンプに連れて行ってくれたり、大学への出願に必要なパソコンを貸してくれたりした人たちがいました。
パックンは、そんな友達のお母さんたちを、今でも親しみを込めて「ママ」と呼んでいるそうです。
血のつながりがなくても、家族のように支えてくれる人が何人もいたんですね。
保健室の先生からもらった牛乳とクッキーもそうですが、周囲の人たちのさりげない優しさが、パックン親子を支えていたことが分かります。
パックンがハーバード大学へ進学できた理由とは?
高校を首席で卒業!ハーバード大学には補欠から合格
新聞配達を続けながら勉強にも励んだパックンは、高校を首席で卒業しました。
そして進学先となったのが、世界的な名門・ハーバード大学です。
ところが、本人によると、大学受験のための特別な勉強には、あまり時間をかけられなかったそう。
新聞配達や学校生活で忙しく、願書も一晩で書き上げたといいます。
ハーバード大学の願書を一晩で?!😂
しかも、ほかに出願した名門大学には合格できず、ハーバード大学も当初は補欠扱いだったそうです。
それでも、最終的には合格!
パックンは、ハーバード大学の選考では成績だけでなく、人柄や課外活動なども評価されたのではないかと考えています。
8年間続けた新聞配達、スポーツや演劇などの活動、そして母子家庭で育った経験も、審査で考慮された可能性があるということですね。
ただし、大学側が具体的に何を評価して合格を決めたのかまでは分かっていません。
それでも、優秀な成績に加え、仕事や課外活動を長年続けてきたことは、パックンならではの強みだったといえそうです。
学費はどうした?奨学金やアルバイトで大学生活を支えた
無事にハーバード大学へ合格したパックン。
しかし、もうひとつ気になるのが学費です。
世界的な名門大学となれば、学費も決して安くありません。
経済的に苦しかった家庭で、どうやって進学費用を用意したのでしょうか。
パックンは、大学からの経済的支援や奨学金、学生ローンなどを利用しながら進学したと語っています。
お母さんも、可能な範囲で学費を負担してくれたそうです。
また、大学卒業後には借入金の返済も必要でした。
パックンは1993年にハーバード大学を卒業すると、日本へ渡り、福井県で英語を教える仕事に就きます。
その後も倹約生活を続けながら、大学時代の借入金を返済していったそうです。
ちなみに、ハーバード大学に入学してからは、授業の難しさに苦労したこともあったんだとか。
最初は物理学を学ぼうとしたものの、授業についていけず、最終的には比較宗教学を専攻しています。
高校を首席で卒業したパックンでも、ハーバード大学では苦労したんですね!
貧しかった子供時代を振り返って思うこと
「貧しかったけれど不幸ではなかった」
パックンは大人になってから、子供時代の生活について何度も語っています。
当時はお金がなく、友達と同じように遊べないことを悔しく思ったり、周囲と自分を比べてつらくなったりすることもあったそうです。
それでも、貧しかったからといって、不幸な子供時代だったとは考えていないといいます。
なぜなら、お母さんや家族から愛され、友達やその家族にも恵まれていたから。
ただし、パックンは貧困を美化しているわけではありません。
自身の経験が逆境を乗り越える力につながったと感じる一方で、子供の貧困はなくすべきだという考えも語っています。
また、子供時代には、経済的に余裕があるのに助けてくれない大人たちに怒りを感じたこともあったそうです。
そして今では、自分自身が、かつての自分から見れば経済的に余裕のある大人になりました。
そのことを意識しながら、社会のために何ができるのかを考えているといいます。
苦労した経験を、自分だけの成功物語で終わらせていないところも印象的ですね。
母親への言葉は「世界一のママ」

そして、最後に紹介したいのが、お母さんとのエピソードです。
パックンのお母さんは、息子が大人になった今でも、子供のころに十分な生活をさせてあげられなかったことを謝るそうです。
でも、パックンはお母さんを責めていません。
むしろ、今の自分の人生を幸せに感じていることを伝え、こんな言葉をかけているといいます。
「ママは世界一のママだよ」
もう、これは泣けますね……。
毎朝新聞配達をしていた少年時代。
お腹が空いて、保健室の先生に助けてもらったこと。
お母さんと一緒に食べた、ご褒美のピザ。
そして、友達の家族や先生たちに支えられた日々。
決して楽な生活ではなかったけれど、パックンにとって、お母さんはずっと大切な存在だったんですね。
まとめ
今回は、パックンの生い立ちからハーバード大学進学までの道のりを紹介しました。
7歳で両親が別居し、生活保護を受けるほど経済的に苦しい時期を経験したパックン。
10歳から新聞配達を始め、毎朝3時半に起きて働きながら勉強を続けました。
そして高校を首席で卒業し、ハーバード大学へ進学しています。
その背景には、本人の努力だけでなく、お母さんの教育方針や、先生、友達の家族など、たくさんの人たちの支えがありました。
特に印象的だったのは、お母さんに対するパックンの思いです。
貧しい暮らしを経験しても、お母さんとの思い出を大切にし、今でも感謝の気持ちを伝えているんですね。
パックンの生い立ちを調べてみて、ハーバード大学卒業という経歴の裏には、想像以上にたくさんの努力と温かい人間関係があったことを知りました。
これからテレビでパックンを見るときは、あの明るい笑顔が、少し違って見えるかもしれませんね。

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