ドラマや映画で活躍し、独特の存在感を放っている俳優の中島歩(なかじま・あゆむ)さん。
落ち着いた雰囲気が印象的な中島さんですが、実は明治時代の文豪・国木田独歩(くにきだ・どっぽ)の子孫であることをご存じでしょうか?
しかも、中島さんはもともと俳優を目指していたわけではなく、国語教師になるつもりだったというから驚きです。
さらに経歴を調べてみると、大学時代には落語研究会に所属し、落語家になることまで考えていたのだとか!
文豪の子孫でありながら小説を書くことには向いていなかったという、ちょっと意外なエピソードも見つかりました。
今回は、中島歩さんと国木田独歩の関係や、教師志望から俳優になるまでの意外な経歴を詳しく紹介します!
中島歩は国木田独歩の子孫!玄孫という関係だった
中島歩さんは、明治時代の小説家・国木田独歩の玄孫(やしゃご)にあたります。
国木田独歩といえば、『武蔵野』や『牛肉と馬鈴薯』などの作品で知られる文豪です。
小説家としてだけでなく、雑誌『婦人画報』の創刊に関わったことでも知られています。
そんな歴史上の人物が自分の先祖だなんて、なんだかすごい話ですよね!
国木田独歩の玄孫とは?家系のつながりを紹介
「玄孫」と聞いても、どのくらい離れた関係なのか、少し分かりにくいですよね。
玄孫とは、ひ孫の子どもにあたる続柄です。
中島さん自身も、2026年8月29日放送の『人生最高レストラン』で、国木田独歩について「おばあちゃんのおじいちゃん」と説明していました。
つまり、家系をたどると次のようになります。
国木田独歩 → 子ども → 孫 → ひ孫(中島さんの祖母) → 玄孫(中島歩さん)
中島さんから見ると、国木田独歩は高祖父(こうそふ)にあたる人物なんですね。
なお、国木田独歩から中島さんまでの詳しい親族名や、父方・母方のどちらの家系なのかについては、確認できる情報が限られています。
「歩」という名前も国木田独歩に由来していた!
驚くことに、中島さんの名前にも国木田独歩とのつながりがありました。
中島さんは小学生のころ、親から国木田独歩の「歩」という字を取って名付けられたと聞いたそうです。
「独歩」の「歩」が「歩(あゆむ)」になったということですね!
ただ、国木田独歩の子孫だからといって、特別な遺産があるわけではないそう。
『人生最高レストラン』では、そのことも冗談交じりに話していました。
歴史に名を残す文豪の子孫でありながら、どこか飾らない話しぶりが印象的ですね。
中島歩は文豪の子孫なのに小説を書くのが苦手だった?!
国木田独歩の玄孫で、しかも名前まで文豪に由来している中島さん。
となると、やっぱり文章を書く才能も受け継いでいるのでは?と思ってしまいますよね。
ところが、実際には少し違ったようです。
日本大学藝術学部文芸学科で小説に挑戦!
中島さんが進学したのは、日本大学藝術学部文芸学科。
大学では小説を書くことにも挑戦したそうですが、本人はどうにも向いていないと感じたのだとか。
2026年8月29日放送の『人生最高レストラン』では、小説に挑戦した当時の気持ちについて、
「何も書きたくない、書くことなんてない!」
と率直に語り、スタジオの笑いを誘っていました。
文豪の子孫が文芸学科に進学したものの、いざ小説を書いてみると、自分には合わなかったというのです。
これはちょっと意外ですよね(笑)。
小説は苦手でも、文章を書くこと自体は好きだった
ただし、中島さんは文章を書くこと自体が嫌いだったわけではありません。
高校時代には評論や小論文を書くことに面白さを感じていたそうです。
さらに、漫才やコントの台本を書いて、人前で披露していたというエピソードも!
どうやら中島さんは、自分の考えを文章にしたり、人を楽しませるための台本を作ったりすることは好きだったようです。
一方で、ゼロから小説の世界や物語を生み出すことには、あまり向いていないと感じたのでしょう。
そして、この違いが、のちに俳優を目指すきっかけにもつながっていきます。
中島歩は国語教師を目指していた!教員免許も取得
実は中島さん、もともとは俳優ではなく、国語教師になることを目指していました。
しかも、なんとなく教師に憧れていたというわけではなく、実際に教員免許まで取得しているんです!
小学生のころから教師になるつもりだった
中島さんは、2022年の『CREA』のインタビューで、小学生のころから教師になろうと考えていたことを明かしています。
大学進学を考える際にも、当初は教育学部に進むつもりだったそう。
ところが、親から教育学部に進むと将来の選択肢が狭まるのではないか、というアドバイスを受け、進路を考え直すことになります。
そこで思い浮かんだのが、自分の好きな「書くこと」でした。
教師を目指しながらも、文章について学べる大学に進むことを考えたんですね。
教育学部ではなく日芸に進学した理由とは?
中島さんが日本大学藝術学部を知ったきっかけは、なんと爆笑問題のラジオ番組だったそうです!
もともと深夜ラジオが好きだった中島さん。
番組を通じて日芸という大学の存在を知り、調べてみると文芸学科があったため、受験することにしたのだとか。
ちなみに、本人は別の大学への進学も考えていたものの、結果的に合格したのが日芸だったという話もしています。
そして大学では、中学校・高校の国語の教員免許を取得。
もし俳優になっていなければ、学校で国語を教えていた可能性もあったんですね!
中島歩は大学時代に落語研究会へ!高座名は「大家主水」
ここからが、さらに意外な経歴です。
国語教師を目指して日芸に進学した中島さんですが、大学では落語研究会に所属していました。
しかも、入部のきっかけがちょっと面白いんです(笑)。
お笑いサークルだと思ったら本格的な落語研究会だった!

もともとお笑いが大好きだった中島さん。
大学でも漫才やコントなどをやりたいと考え、落語研究会に入ったそうです。
ところが、実際に入ってみると、そこは想像していたようなお笑いサークルではなく、本格的に落語に取り組む研究会でした。
思っていたのと違ったわけですね(笑)。
それでも落語に面白さを感じるようになり、結局4年間続けたそうです。
最初は決まった噺を練習するところから始まり、次第に自分なりの工夫を加えて演じることが楽しくなっていったのだとか。
小説を書くことには向いていないと感じていた中島さんですが、すでにある物語を自分なりに表現することには、楽しさを見いだしていたようです。
高座名「大家主水(だいやもんど)」は気に入っていなかった?
落語研究会では、高座名を付けて活動していた中島さん。
その名前が、なんと……
「大家主水(だいやもんど)」!
なかなかインパクトのある名前ですよね(笑)。
この高座名は先輩が付けたものだったそうですが、中島さん本人はまったく気に入っていなかったのだとか!

気に入ってなかったんだ😂
それでも4年間、落語研究会で活動していたというのが面白いですよね!
2026年8月に出演したテレビ番組でも、そのことを笑いながら話していました。
今の落ち着いた俳優としての姿からは、ちょっと想像しにくい大学時代ですよね。
落語家も考えたのに俳優を選んだ理由とは?
大学時代には、落語家になることも考えていたという中島さん。
しかし、落語家の道には、自分にとって大きな問題があったそうです。
それは、一人で頑張らなければならないこと。
中島さんは、自分一人では怠けてしまうと感じていたのだとか。
一方、俳優なら共演者がいます。
自分が頑張らなければ相手にも迷惑がかかるため、それなら努力できるのではないかと考えたそうです。
なんとも率直な理由ですよね(笑)。
でも、自分の性格をよく理解したうえで進路を考えていたともいえそうです。
そして、落語を通じて感じた「物語を演じる楽しさ」が、俳優という仕事への興味につながっていきました。
中島歩はなぜ教師ではなく俳優になった?
小学生のころから教師を目指し、実際に教員免許まで取得した中島さん。
それなのに、なぜ俳優の道へ進むことになったのでしょうか?
そこには、大学時代の環境が大きく影響していました。
日芸で出会った仲間たちが進路を変えるきっかけに
日本大学藝術学部には、音楽や映画、演劇など、さまざまな分野で表現活動に取り組む学生が集まっています。
中島さんの周囲にも、ミュージシャンや俳優を目指している人たちがいたそうです。
そんな仲間たちと過ごすうちに、中島さん自身も、好きなことを仕事にする生き方に憧れるようになっていきました。
もともとは教師になるつもりだったものの、大学でさまざまな価値観に触れ、将来の選択肢が広がったんですね。
そして落語研究会での経験も重なり、俳優という仕事に興味を持つようになりました。
大学2年生でモデル事務所へ!自ら履歴書を持参
俳優を目指そうと考えた中島さんですが、いきなり演技の仕事を始めたわけではありません。
まず選んだのは、モデルとして活動することでした。
当時はモデルから俳優になる人も多かったため、自分もその道を進もうと考えたそうです。
そして大学2年生のとき、インターネットでモデル事務所を探し、自分で履歴書と写真を持って事務所を訪ねたのだとか!
スカウトされたのではなく、自分から行動したというのが意外ですよね。
その後、モデルの仕事を少しずつもらえるようになり、大学3年生になっても就職活動をする気にはならなかったそうです。
国語教師を目指していた中島さんが、本格的に芸能界への道を歩み始めた瞬間だったのかもしれません。
モデル活動から俳優デビューへ
大学卒業後もモデルとして活動を続けていた中島さん。
その後、演技のレッスンを受けたり、小劇場の舞台に立ったりしながら、俳優として経験を積んでいきました。
そして2013年、美輪明宏さんが主演・演出を務める舞台『黒蜥蜴』で俳優デビューを果たします。
実は、このデビュー作では美輪さんから厳しい指導を受け、降板寸前にまで追い込まれたというエピソードも!
華々しいデビューの裏側には、想像以上の苦労があったようです。
美輪明宏さんとの出会いや『黒蜥蜴』でのエピソードについては、こちらの記事で詳しく紹介しています。
まとめ|中島歩は文豪の子孫から俳優という表現者の道へ
今回は、中島歩さんと国木田独歩の関係や、教師志望から俳優になるまでの意外な経歴を紹介しました。
中島さんは、明治時代の文豪・国木田独歩の玄孫で、名前の「歩」も国木田独歩に由来していました。
しかし、日芸の文芸学科で小説を書いてみると、自分には向いていないと感じたそうです。
一方で、人前で話したり、すでにある物語を自分なりに表現したりすることは好きだった中島さん。
大学時代には落語研究会で「大家主水」という高座名まで持ち、落語家になることも考えていました。
そして、教師でも落語家でもなく、最終的に選んだのが俳優という仕事。
小説を書くことは向いていなくても、物語を演じることには楽しさを見いだした。
そう考えると、中島さんが俳優になったのも、どこか自然な流れだったのかもしれませんね。
クールな印象とは少し違う、ユーモラスで飾らない一面も知ることができました!
これから中島さんの演技を見るときには、大学時代に落語に打ち込んでいた姿も、ちょっと思い浮かべてしまいそうです(笑)。


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