24時間テレビ SUPER EIGHT横山裕作詞の「オニギシ」のエピソードが泣ける。

芸能

こんにちは!ちゃぼこです。

あっという間に8月も終わってしまいました。

8月最後の土日には今年も「24時間テレビ」が放送されました。

SUPER EIGHT、横山裕が母親への思いを綴った楽曲「オニギシ」を歌唱し力走する横山にエール
24時間テレビ48 日本テレビ

私の場合はテレビをつけておいて流し見がほとんどなのですが、ちょうどマラソンも終盤となってきた頃、ちびまるこちゃん、サザエさんからの録画していたおかあさんといっしょを見ていた長男に「24時間テレビ見てもいい?」と聞いて、了承を得られたので日テレをつけました。

ちょうど夕食をとるタイミングだったので、座りながら見ていたのがSUPER EIGHT横山君の「オニギシ」エピソード。

私はSUPER EIGHTの楽曲は「ズッコケ男道」や「無責任ヒーロー」といった代表曲しか知りませんでしたので、「鬼・・・?どういう意味だろう?」とはてなマークが飛びました。

「オニギシ」

「オニギシ」という曲は、当時の関ジャニ∞の横山裕・渋谷すばる・安田章大によるユニット、三兄弟の楽曲です。

作詞は横山君が「ユウ」名義で、作曲は安田君が「チパ」名義で担当しています。

2006年3月15日に関ジャニ∞の1枚目のフル・アルバム『KJ1F・T・O』の収録曲として発売されました。

この曲は、女手ひとつで苦労して育ててくれた母親との幼少期の思い出を、ユーモアを交えて描いた楽曲となっています。

「ちょっとしょっぱいオニギシ」という歌詞などは実話だそうです。

子供の頃の思い出の味ってやたら覚えてるんですよね。あと匂いとか。

同じような味や匂いがすると、その時の記憶がよみがえってきたりします。

横山君にとってオニギシは大切な思い出のひとつなんですね。

29歳の時に母が他界

2010年に開催された横山君のソロライブツアー「横山YOUがヤっちゃいます〜3 2010春」では横山君によるソロバージョンで披露されました。

しかし同ツアーの青森公演当日に、横山君の母親が虚血性心疾患により、50歳で急逝しました。

開演4時間前に訃報が伝えられたそうです。

亡くなる前日は元気だったそうで、当日買い物に行った際に倒れ、亡くなってしまったそうです。

ショックですよ。。。

元気だった人が突然いなくなってしまうなんて。もう会えないなんて。

しかしライブを中止して母親のところに駆けつけても母は喜ばないだろうと、予定通りライブは開演したものの、セットリストに入っていた「オニギシ」のところでは涙が溢れて歌えなくなってしまったそうです。

「オニギシ」を歌う前には
「親に感謝は忘れないでください。親がいることは当たり前ではないですから。」
とファンに向けて語ったそうですが、横山君自身が「感謝の想いを伝えることが出来なかった」からだと思うと胸が苦しくなります。

私も母になったので、子供として母を想う気持ちと、母として子を想う気持ちと両方の立場から考えるようになりました。

横山君のお母様も無念だったと思います。
子供たちにもう会えない、しかも突然に。ライブ中、泣き崩れる息子を空から見て、本当につらかったことでしょう。

横山君は「オニギシ」の歌詞と母親の死が妙にリンクしてしまい、なんて曲を作ってしまったんだ、後悔も溢れ、その後15年間歌えなかったそうです。

「オニギシ」母の死とリンクしてしまった歌詞

お母ちゃん 僕は何をしてあげれた?
優しかった?もっと一緒に笑いたかったな
でも もうそれも遅いやんな。

「オニギシ」は母親の死後書かれた歌詞ではなく、生前書かれたものだから、余計に「歌詞のとおりになってしまった」と後悔してしまったのでしょう。

まとめ

お母様が亡くなる1ヶ月ほど前に、大阪城ホールで公演された同ソロライブツアーに来場された横山君のお母様はライブを見て「アンタ、凄いな」と伝えたそうです。

母目線としては、大勢のファンの前に立つ息子を見て、母との思い出を歌にしてくれて、家族を大切に想ってくれて、本望だったのではないでしょうか。

横山君自身も時間をかけてゆっくりと気持ちを整理し、2025年8月23日、訃報を知った青森でソロライブをし、「オニギシ」を涙ながらに歌ったそうです。

大切な人がそばにいるのは当たり前ではない。

だからこそ後悔のないよう一瞬一瞬を大切に、想いもきちんを伝えていかなくては、

そんな風に思わせてくれたエピソードでした。

参考資料Wikipedia

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